男はどんな女でも、朝晩、毎日見ていれば、気にいらないところも出てきて憎くもなる。女にしても、それは同じであろう。
そんな結婚生活は空しいものだ。お互い別々に住んでいて 時々会うという通い婚こそが、年月を経ても飽きることのない男女の仲になるのではないか。
ふらりと愛する男がやってきて、そのまま泊まって帰るのは、きっと女にとっても新鮮で趣のあることではないだろうか。
これは私が言ってるのではない。今から約700年前、歌人吉田兼好がその 著書徒然草の中で述べている言葉である。
「徒然草」はご承知のように清少納言の「枕草子」、鴨長明の 「方丈記」と合わせて日本三大随筆 の一つと評価されており、 全244段の人の世を透徹した文章は今読んでもしみじみと胸に迫る。
確かに、現世を眺めていても、“あなたなしでは生きていけないの”と、打ち震えたその同じロで、ほどなく“亭主元気で留守がよい” とのたまわるのだから、兼好の指摘もあながち外れているとも言えない。
男女の仲に限らず、親子関係にしても、一緒に住んでいる嫁が、遠くに住んで時々訪ねてくる嫁より分が悪いのも同じ道理で、新鮮さを保つには距離をとるしかないのだろうか。
だからと言って、一人旅に出て、 君を解放してあげようかと言うと、いつにない低い声で「誰と行くの?」と嫌みを言われるのがオチで、案外、男女の嫉妬心も一緒に暮らす理由の一つではないかと私は睨んでいる。