かつて、県内紙に「禅語漫歩」という随筆が連載されていた。
著者の崎山崇源和尚は当時50代半ば、現在93歳になられるから随分昔の話だ。
その随筆に深く感銘を受けた私は、連載が終わるや和尚の興禅寺を訪ねた。 興善寺は首里金城町の閑静な場所にたたずむ立派な伽藍だが、当時は久茂地の細い路地に入った小さな古家だった。
玄関で固まっている初対面の私を温かく迎えてくれた和尚は一見強面な印象とは違って、ユーモアたっぷりの慈愛あふれる人だった。
参禅の合間、仕事の話になると「もうけろよ、そして少しこっちにも回せ」と冗談を言われた。
ある時、 和尚に「仏というのは何ですか?」と聞くと「仏というのは、ほとけること」 と即座に答えその意味と意義を話された。
全てに自信を失い臆病になっていた26歳の私は、心を縛る煩悩の紐がほとける穏やかな心境に強く憧れた。
私は座禅に通う傍ら寝禅や歩行禅も暮らしの中で実践した。
そして、そのいづれもが、深い 喜びを伴う心身の解放につながることを知った。
あれから数十年の歳月が流れ、いつしか 私は訪れる人の心が自然とほとけて至福に包まれるホテルの建設を夢見ていた。
そして高野山など全国の神社仏閣にその神髄を求めて歩いた。
中でも禅寺の陰影の美にあふれた簡素な空間に強く惹かれていった。
理想の地を玉城百名に見つけた私は、完成まで10年を要したそのホテルに百名伽藍と名付けた。